今日ウチのツレと話してたこと。
ルサンチマン系の非モテの人というか、いじけ系の非モテの人の、「モテは強者であり非モテは弱者で弱者は救済されねばならないのだ」的なモテ議論はどうにも非非モテには理解しがたいんだが、それは彼らが(彼らにとっては空想上のものである)モテというものを間違って理解しているからなのではないか?
たぶん彼らが考えてる「モテ」というのは、芸能人とそのファンみたいな関係なんじゃないのかね?そしてそーゆー定義におけるモテ・非モテというのは、極端にいえば一流大学に合格できるか、三流大学も無理かってのと同じくらい客観的に測定可能な定義できる能力によって決まるものであって、だから「弱者」とかって論理が出てくる。
そうやって考えると、「いや、恋愛なんてのは色々なんだから、べつに万人からモテなくっても、あなたはあなたにあった恋人が一人でも見つかればいいじゃないか」と言ってみてもイマイチ理解されないどころか、場合によってはますます怒らせてしまうのは、「数学が苦手なら文系目指せばいいじゃないか」みたいな、分野は違えど結局のところはあくまで客観的に評価される戦場での闘いで勝つことを要求している言明として受け取られていて、「パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃないか」と言われているような気分にさせてしまうんじゃないかな、とか思ったり。
なるほど。Happy Holiday という表現にはそういう背景があるのか。
うずら、ウチの近所のコジマでも売ってますが。そして、ウチの実家の近所にもうずら農家があって、たまに脱走したうずらが農道を散歩してたりした記憶がある。